あなたは、自分のモノサシが正しいと思っていますか?
僕は、自分のモノサシが正確か、間違っているかが不安になるため、何かを判断するときは、徹底的に調べ、自分のモノサシが間違っていないことを確認してから判断をします。自分のモノサシが正確であると自信がないときは、自分で判断をせず、有識者に判断を仰ぎます。例え、年齢、性別、性格の良し悪しは一切気にせず、その道のプロに判断を仰ぐ。
仕事でトラブル原因は、大抵の場合、この判断が間違ったときです。判断をする人の間違いが、後々大きな損害となって、関わる人間の背後に忍び寄る・・・『理不尽』という名の時限爆弾をセットすることになるのです。
他人に迷惑を掛けないためにも、モノサシの正確さを確かめるための知識を集めること、自分のモノサシに自信がないときは、自分で判断をしないことは社会人として必要な行為だとは思いませんか。少なくとも、僕は判断をする責任がある場合は、必ず、判断をするための材料をかき集めます。
これは僕の持論なのですが、判断が早く正確な人間は、これまでの経験で判断をするための材料をしっかりと知識として蓄えている人間です。知識がなく、自分の感情や中途半端なプライドで判断をするから、大惨事に繋がります。もちろん、全ての事象について知識を持つことは不可能です。だから、経験を抽象的に、あるいは具体的に見る角度やピントを変え、そこにある本質を見極め、自身の知識で当てはまる事象はないかと考える訳です。そして、これまでの知識で判断が出来ないのであれば、新しいモノサシを手に入れるためにインプットをするか、その事象を測れるモノサシを持っている人間に判断を乞う必要があるのです。
いちばん困るのが、中途半端な知識で、あたかも自分の判断は正しいと思う人間の判断です。そして、そんな人間は多くの場合、責任逃れの言い訳ばかり考え、周りの人間に多大な迷惑を掛け、「自分は悪くないアピール」をするのです。事後になって、自分は悪くないという屁理屈を用意するより、事前に正しい判断をするための知識を蓄える方が、人間として正しい生き方だと僕は思います。少なくとも、僕は言い訳をして、責任逃れをする人間より、正しい判断をしてくれる人間を信用します。
これは、会社という組織で、幹部という立場についた人間に求められるスキルで、優秀な選手が優秀な監督になるとは限らない理由の一つです。