hiramesのブログ

サラリーマンを辞め、起業をするまでの軌跡

起業への想いと会社の限界

僕は来年の誕生日に起業をする。ただ、現在の職場に不満があるわけではない。どちらかと言うと仲のいい人たちに囲まれ、幸せを感じている。そもそも、僕はこれまで仕事内容ではなく、一緒に仕事をする人で職場を選ぶのがベストだと思っているし、その考えに間違えはないと確信をしている。だが、来年の誕生日には退職をする。

起業をする理由は様々あるが、今の会社に将来を感じなくなった・・・沈みゆく船に最後まで乗り、足掻き、最終的に苦しむことを避けたいからというのがある。少し状況を整理すると、一代で年商30億円、従業員数100人超えまで会社を大きくしたワンマン社長が来年は七〇歳になる。それが、我が社の衰退始まりである。最近は、目に見えて肉体的にも、精神的にも、以前の活力が薄れている。もちろん、僕はこの社長に惚れ、誘われた時に二つ返事で転職をした。だが、最近の社長のご乱心ぶりに、ほとほと嫌気がさしてきた。というのも、社長は会社と仕事に酷く愛着があるらしく、ご子息の成長の機会を奪ってしまっている。もう、二代目に引き継ぐと公言しているのに、社長が出しゃばるから、主要顧客や従業員が社長に依存し、二代目には目をくれません。結局、意思決定も二代目のご子息にさせているようで、本人の意思を色濃く反映させるので、間違いなく、社長がいなくなってしまったら、会社は路頭に迷うことになる。

さらに、ご子息はご子息で、社会人としての常識がなく、コミュ障で、さらに相手の気持ちを察するというか、他人と一緒に生活をするスキルが皆無なのだ。お気に入りの社員に、ネット上で拾った訳の分からない写真をLINEで送りつけたり、出社をしても事務所に顔を出さず、そのまま、何の連絡もなく、植木の草むしりを初め、出社しないことを心配した社長命令で全社員での捜索事件を発生させたり、商品管理のための空調を止め、全商品を廃棄にするというミスをしたのに、逆ギレをしてみんなを困らしたり、重要顧客との会食で、一言も話さず、「二代目はヤバい奴だな」と呆れられたり、会社を取り仕切るどころか、親がいなければ、生活もままならない四六歳の独身男です。こんな人間に人生を任せられると思う人間は、どMだと思う。だが、周りの人間が支え、お飾りにすれば会社の存続はできる。普通ならできるハズである。

だけど、それができない理由が我が社にはある。それは、番頭たちも超高齢化が進み、社長がいなくなる頃には、ほとんどの番頭たちが定年を超える。ちなみに、現在、経営上層部に君臨する役職者は、上から七四歳、七二歳、六九歳、六四歳、五九歳である。このメンバーは10年以上固定され、他の追従を許さない。つまり、後進の育成は、これまでにされてはいない。つまり、社長の勇退と経営上層部の引退の時期は、ほぼほぼ同時期で急に番頭もいなくなるのである。経営に関与していない人間が、急に責任のある判断を押し付けられる未来に光はない。

さらに、人材の流出である。経営上層部が変わろうが、現場の技術者、営業が優秀であれば、会社は持ち堪えることができるかも知れない。経営上層部の判断に現場からノーと言えれば、大きな間違いはないだろう。我が社には優秀が技術者たちがいる。これまでの会社を支えてきた技術者たちの知恵があれば・・・という淡い期待も抱けない。我が社の従業員の平均年齢は驚異の六三歳。もちろん、定年を迎え、嘱託で働いている人を含めた平均年齢なので、正社員の平均である五八歳よりは高くなる。というか、正社員の平均年齢が五八歳の会社に将来を感じるだろうか。少し頭が良い人間なら、近づきはしない。ここ数年で新卒で入社したのは、外国籍の二人だけだ。あとは中途採用でくる五〇代の人間・・・ちなみに、外国籍の二人の上は、三六歳になる。そして、その上はアラフィフ世代が数人いるだけで、あとは高齢者。もし仮に、六五歳の定年退職で、きっぱり会社を辞める人間ばかりであると二年後には、従業員数が約半分になる。

まるで未来がない。

沈みゆく船に乗り、最後の晩餐を楽しむには、僕は少し若すぎる。