できれば仕事などしたくないし、毎日、気が済むまで遊び狂いたい。そんな生活を夢見ているし、そんな生活を送れるように弛まぬ努力を続けています。と言いたいのですが、なんとなく会社に行き、なんとなく言われた作業をこなし、なんとなく悶々とした気持ちを抱えながら、「世の中とはこういうものだ」「生きるということはこういうことだ」と世間の人たちと一緒で、なんとなく生かされている。少なくとも、自分が望んでいる生活とは程遠い生活で満足しているフリをしています。
「そんな生活で満足しているのか」と問われれば、心の中では「満足してる訳ないじゃん。不満だらけだよ」と思っても、表面上は「満足している」と答えてしまいます。それは、僕なりに、そこそこ頑張ってきたし、不満ばかりをつらつらと述べていると、その頑張りを否定されるような気がして、今までの人生が全て無になってしまうような気がして、嘘で繕うことが悪いことだと思いながらも、嘘をつかなければ、折れてしまいそうになっています。
かと言って、これまでの人生が最悪だったかと考えると、そんなことはなく、普通に大学に行って、普通に就職して、普通に結婚、普通に子育てに苦労して、子供の成長を楽しむこともできています。そんな普通の生活を送り、会社でそこそこの地位とそこそこの収入を得て、不満だと言うと、普通の生活も送れず、貧困に苦しんでいる人から恨まれそうで、「働ける環境があるのに、もっと真剣に働けよ」と言われそうで、満足をしていると答えてしまう。
本当は、全てを捨てて自堕落的な生活を送り、好き勝手に誰の目も気にせず、悠々自適な生活を送りたいのに、世間の目が気になり、『偽りの自分』と言う鎧を着て、本当の弱い部分を隠しながら、生きています。それが良いのか悪いのかは分からないけど、少なくとも僕は、僕を産み、育ててくれた両親、可愛がってくれた親戚や、何もできない僕を優しく見守り育ててくれた人たちや、僕の子供として生まれてきてくれた息子たち、こんな僕でも頼ってくれたり、仲良くしてくれる仲間たちに迷惑をかけたくない気持ちがあり、そんな人との繋がりを無にできないと思っています。
僕は、決して強い男ではなく、どちらかというと弱虫で、一匹狼的な強い男に憧れていて、そんな男を演じながらも、仲間や家族、これまでに繋がった人たちの縁を無下にはできません。これまでに繋がった人たちが困っていれば、助けてあげたいし、助けるべきだと思っています。例え、世間的に間違った行動をしていても、最後まで味方でいたい。もちろん、怖いとは思うけど、僕は仲間や家族を信じていたい。だから、仲間を裏切ることはない。そして、同じ価値観を持つ仲間に囲まれ、好きなことを好きなだけ楽しむ生活を目的に起業する。