hiramesのブログ

サラリーマンを辞め、起業をするまでの軌跡

最近の若者は・・・

現代の若者は、頑張り過ぎである。それは現代の情報社会の弊害だ。僕たち、就職氷河期世代は、今より過酷な時代を生きていたのに、情報が少なかったのもあって、割とのんびりと生きていた。もちろん、今になって苦労をしている人間も少なくない・・・と言うか多い。でも、頑張れば成功出来るかと言うと、そんなこともなく、頑張っても成果が出ないのは普通で、そこには『運』が必要で、頑張って勉強するよりも『運』を味方につけるために、自分の考え方と違う多くの人に会って、話を聞き、考え、まとめる・・・なんというか、余計なことをすべきなのだ。

僕の場合、スキルは仕事で身につけたし、他者との違いは、頑張らずに遊び惚けていたから手に入れたような気がする。つまり、趣味や遊びに費やす時間が人間を大きくした。ある意味、頑張った人間が成功を手に入れるのではなく、頑張らなくても、自分の好きなことを極めようとする方が100倍楽しいし、人間として成長できる。もちろん、頑張って知識を獲得することが悪いと言っいるのではなく、遊びの中に物事の本質と言うか、何と言うか、、そんな物が隠されていると思うのである。

ぶっちゃけ、僕らの同世代で成功している人間は、仕事一辺倒ではなく、どちらかと言うと、一生懸命遊んでいた奴だし、頑張っていた人間と言うより、要領良く誤魔化していた人間。仕事のために頑張っていたと言うよりは、遊ぶことがメインで、そのために仕事をしていると言う人間が多い。就職氷河期と言う地獄も、就職出来なければ、出来なくても良いや・・・と言う開き直りと言うか、覚悟を持って遊んでいた奴らなんですよね。

今の若い人たちが追われるように頑張っている姿を見ると、焦る気持ちと可哀想な気持ちが湧いてくる。その頑張りは、自分の価値を上げるためかも知れないけど、人間の価値と言うのは相手によって決められるのであって、会社や世間に認めて貰おうと思うより、反対に周りの人間・・・すごく狭いコミュニティにだけ認めて貰えれば、大成功をおさめられる。

趣味や遊びで、仲間を作り、そのメンバーにだけ認められれば、会社なんて言う看板がなくても、生きていけるし、成功者になれる。会社や世間から認められようと足掻くよりも、周りの人間を大切にした方が成功できると僕は思う。

夢のDX(デラックス)で業務効率をあげよ

「絶対に嫌だ」

声には出さないが、僕は激しくそう思った。

(・・・なんで僕が?)

自らの点数稼ぎのために、誰からも賛同を得られない提案をした無能な上司からの懇願を前に、感情を押し殺しながら僕は思った。

始まりは、社長のひと言だった。

「我が社もデラックス(おそらくDXのこと)を導入し、優位性を確立する」

DXがデラックスの略で、高級なシステムを導入する位にしか思っていない癖に、正体不明のDXに期待をする経営幹部たちの夢想する顔に愕然とした。

僕は情報システム部門として意見を求められた。

「システムを導入することで、業務が複雑になり、非効率になるなら、システム化は必要有りません。そもそも、属人化してルールもない業務が散在している時点で、システム化は不可能です」

正論である。社長の「DXを進めよ」という指示に真っ向から対抗した。会社では、正しいことが正義ではないという暗黙のルールを無視し、正論で反対した。

その場の空気が凍った。どれだけ鈍感な人間でも気づくレベルで雰囲気が悪くなった。けど、僕は社長の取り巻きたちのようにイエスマンになり、自らのクビを閉めるMっ気はない。

そうこうしているうちに、社長に尻尾を降り、自らの点数を稼ごうとする総務部長がシステム導入の話を進めた。エクセルで管理していた勤怠を、テレビCMで見たことのあるクラウドシステムと契約をしやがった。もちろん、何も考えずに。

情報システム部門の僕は、どんなシステムでも初期設定に膨大な時間が掛かること、さらには、システムを使う人の全員が同じルールを守り、行動することでしか活用できないことを知っている。だから、多くの人間が、自分のルールで仕事をする我が社のような集団からは、苦情が噴出する。

超高齢化が進む我が社では、スマホも扱えず、パソコンも使いこなすこともできない人間が多く、今まで回っていた業務がDX化をすることで停滞する。社長の顔色を伺い、媚を売ることにしか興味がないから、僕の目には見えている未来が見えず、簡単にシステムを導入すれば解決するという浅はかな考えになるんだと思う。

そして、導入をした勤怠システムのパラメータ(利用者、出退勤時間、申請ルートなどなど)の設定時に火を吹いた。何せ、これまでは口頭、もしくは電話での休暇申請をしていたアナログな会社だった。出張の依頼や申請も前日に「明日、〇〇に行ってくれ」なんてことが日常茶飯事的に起こる。システマチックに行動することが苦手な会社。そんな会社だとシステムのパラメータ設定時にルールの整備から始めなければならず(出張時の打刻は、いつ? 家出時刻? 現場到着時刻? などなど)導入開始日になっても、サービスが提供できない。僕の予想通りだ。

情報システム部門で導入を進めて欲しい」

1ヶ月の導入準備期間が過ぎ、結局は、稼働できずに高額なサービス料だけが発生している状態。社長の機嫌も目に見えて悪くなってきたら、僕に仕事を投げてくる。そんなの嫌に決まっている。それも、僕は夢のDX化に反対をしていた。危険を犯して、社長の意向に刃向かった。なのに、「音頭を取れ」と平気で言ってきやがる。こんなクズのために犠牲になる必要はない。

僕はDXを恨む。

2025年問題とは?我が社の取り組みと課題

我が社の問題は、昨今騒がれている「お世継ぎ問題」である。日本の多くの企業が直面する2025年問題が我が社でも確実に起こる。2025年問題とは、団塊世代が75歳以上の後期高齢者になり、超高齢化社会に突入し、医療費、介護費、年金などの社会保障の負担をどうするかという大きな問題だ。現役世代の負担が今以上に増え、僕のように「どんだけ給料から天引きされるんだよ。やってられねーぜ」と勤労意欲がなくなる人間が増える。それは良い。勝手に騒いでいれば良いだけだから・・・。

影の2025年問題は、日本企業を支えていた経営者が70歳以上になり、後継者がおらず、廃業や倒産の危機に直面する。そんな会社は日本中に約127万社もあると言われているのだ。我が社もその「お世継ぎ問題」が発生する。というか発生している。我が社では現在進行形で発生しており、一部の従業員の最大の関心ごとなのだ。なぜ、一部かというと、超高齢化が進む我が社では、一部の人間以外は、二、三年後には定年退職を迎えるので、あまり気にしていない。つまり、経営者だけではなく、従業員も大量定年を迎え、会社存続の問題が発生するのである。

それも我が社の場合、一代で年商30億円超え、従業員100名超えまで会社を大きくした現社長に大きく依存をしている。御年69歳の社長が、陣頭指揮を取り、ここまで会社を成長させてきたのだ。クリティカルヒット的に、2025年問題が発生する。そして、後継者である社長のご子息が目を見張るほど、無能なのである。世間一般的に騒がれている「後継者不在」ではなく、経営能力が皆無のご子息が問題。別に経営者を立てれば良いのだが、我が社のワンマン社長にその気はない。ご子息に会社を引き継ぐことしか考えておらず、いま現在、従業員の心が会社から離れているのだ。

我が社の従業員の平均年齢六〇歳。現在は、定年退職後も会社に残り、会社を支えてくれている優秀な方も多いのだが、そんな方たちに話を聞くと「代替わりをしたら、会社に来ない」と思っている方が多く、また、残り数年で65歳の定年退職を迎える方たちも、「もう無理だろ」と口にする。つまり、経営能力がゼロの社長の下、約40人の従業員で会社を操業しなければならないのだ。はっきりいうと、残るメンバーで事業継続できる確率は10%もない。現在、人材の要になっている社長が引退をしたら、間違いなく崩壊する。残るはずの40人のうち、5〜10人は社外に流出する。僕が聞き及んでいるところによると、数人がスピンオフして別会社を立ち上げる算段をしているようだし、取引先と移籍話をしている人間もいるようだ。

これが、2025年問題の真の姿である。来年は転職界隈が盛り上がる気配を感じる。

サラリーマンの心情を語る

できれば仕事などしたくないし、毎日、気が済むまで遊び狂いたい。そんな生活を夢見ているし、そんな生活を送れるように弛まぬ努力を続けています。と言いたいのですが、なんとなく会社に行き、なんとなく言われた作業をこなし、なんとなく悶々とした気持ちを抱えながら、「世の中とはこういうものだ」「生きるということはこういうことだ」と世間の人たちと一緒で、なんとなく生かされている。少なくとも、自分が望んでいる生活とは程遠い生活で満足しているフリをしています。

「そんな生活で満足しているのか」と問われれば、心の中では「満足してる訳ないじゃん。不満だらけだよ」と思っても、表面上は「満足している」と答えてしまいます。それは、僕なりに、そこそこ頑張ってきたし、不満ばかりをつらつらと述べていると、その頑張りを否定されるような気がして、今までの人生が全て無になってしまうような気がして、嘘で繕うことが悪いことだと思いながらも、嘘をつかなければ、折れてしまいそうになっています。

かと言って、これまでの人生が最悪だったかと考えると、そんなことはなく、普通に大学に行って、普通に就職して、普通に結婚、普通に子育てに苦労して、子供の成長を楽しむこともできています。そんな普通の生活を送り、会社でそこそこの地位とそこそこの収入を得て、不満だと言うと、普通の生活も送れず、貧困に苦しんでいる人から恨まれそうで、「働ける環境があるのに、もっと真剣に働けよ」と言われそうで、満足をしていると答えてしまう。

本当は、全てを捨てて自堕落的な生活を送り、好き勝手に誰の目も気にせず、悠々自適な生活を送りたいのに、世間の目が気になり、『偽りの自分』と言う鎧を着て、本当の弱い部分を隠しながら、生きています。それが良いのか悪いのかは分からないけど、少なくとも僕は、僕を産み、育ててくれた両親、可愛がってくれた親戚や、何もできない僕を優しく見守り育ててくれた人たちや、僕の子供として生まれてきてくれた息子たち、こんな僕でも頼ってくれたり、仲良くしてくれる仲間たちに迷惑をかけたくない気持ちがあり、そんな人との繋がりを無にできないと思っています。

僕は、決して強い男ではなく、どちらかというと弱虫で、一匹狼的な強い男に憧れていて、そんな男を演じながらも、仲間や家族、これまでに繋がった人たちの縁を無下にはできません。これまでに繋がった人たちが困っていれば、助けてあげたいし、助けるべきだと思っています。例え、世間的に間違った行動をしていても、最後まで味方でいたい。もちろん、怖いとは思うけど、僕は仲間や家族を信じていたい。だから、仲間を裏切ることはない。そして、同じ価値観を持つ仲間に囲まれ、好きなことを好きなだけ楽しむ生活を目的に起業する。

DX化の波がやってきたヤァヤァヤァ

困った。我が社にもDX化の波が訪れた。毎度のことだが、ワンマン社長のひと言で急にシステムを入れることになる。社内唯一の情報システム部門である僕は、戦々恐々としている。何よりも平均年齢六〇歳近い我が社は、スマホやパソコンの操作に疎い人間ばかりで、DX戦闘能力が低すぎるのである。そもそも、経営上層部もパソコンではメールとネットで四苦八苦しているのに、ビッグデータ、AI、IoTのデジタル技術を駆使する姿など想像できず、結局は「使えねぇ〜」と諦める姿の方が容易に想像できる。

我が社の現状を伝えておこう。つい最近、世界を席巻した流行病前まで、勤怠管理、出張申請、経費清算、各種申請は、基本的に手書きで行っていた。基本的にアナログの書類が社内を飛び交っている。最近やっと、エクセルで申請を行う人も出てきたが、おそらく日本企業のスタンダードである申請者印、承認印は、もちろんハンコである。つまり、紙、印刷物が唯一の原紙として認められている。電子帳簿保存法で、電子でもらった書類は電子保存をするというルールも、いまいち理解せず、印刷をして承認印を押す輩が後を立たない状態である。何よりも、このアナログな手順で何も問題はない。もちろん、電子帳簿保存法などの法的に求められるもの以外は、アナログで何の問題なく、業務は回っているのである。というか、アナログだから、ファジーに、そして華麗に手順を誤魔化しながら回っているのだ。

DX化を進めると、今行っている手順の矛盾や非効率な点が炙り出され、根本的な業務手順を変えなくてはならない。それがDXの目的のひとつであるのだが、平均年齢六〇歳、三〇年以上も続けてきた手順を変えることへの反発は、想像を絶する痛みを伴う。そして、全ての矛先は情報システム部門の僕に向けられるのが必至である。この投稿に書いているように、僕はDX化への反対を表明しているが、ワンマン社長のひと言と令和の現代では絶滅危惧種である上司が白といえば黒でも白であるという絶対服従イエスマンである経営上層部からの圧力で、DX化が激流のごとく、流れ始めた。

そもそも、コンピュータなら何でもできると思っている経営上層部は、パソコンもスマホも使いこないしていない。何よりもの懸念事項は、スマホのLINEも使えない平均年齢六〇歳の我が社の従業員に何を求めても、拒否反応を示すのがオチである。そして、社内で唯一である情報システム部門の僕の元に、まるで駆け込み寺のように助けを求めてくるのが目に見えている。

本当に困った。

起業への想いと会社の限界

僕は来年の誕生日に起業をする。ただ、現在の職場に不満があるわけではない。どちらかと言うと仲のいい人たちに囲まれ、幸せを感じている。そもそも、僕はこれまで仕事内容ではなく、一緒に仕事をする人で職場を選ぶのがベストだと思っているし、その考えに間違えはないと確信をしている。だが、来年の誕生日には退職をする。

起業をする理由は様々あるが、今の会社に将来を感じなくなった・・・沈みゆく船に最後まで乗り、足掻き、最終的に苦しむことを避けたいからというのがある。少し状況を整理すると、一代で年商30億円、従業員数100人超えまで会社を大きくしたワンマン社長が来年は七〇歳になる。それが、我が社の衰退始まりである。最近は、目に見えて肉体的にも、精神的にも、以前の活力が薄れている。もちろん、僕はこの社長に惚れ、誘われた時に二つ返事で転職をした。だが、最近の社長のご乱心ぶりに、ほとほと嫌気がさしてきた。というのも、社長は会社と仕事に酷く愛着があるらしく、ご子息の成長の機会を奪ってしまっている。もう、二代目に引き継ぐと公言しているのに、社長が出しゃばるから、主要顧客や従業員が社長に依存し、二代目には目をくれません。結局、意思決定も二代目のご子息にさせているようで、本人の意思を色濃く反映させるので、間違いなく、社長がいなくなってしまったら、会社は路頭に迷うことになる。

さらに、ご子息はご子息で、社会人としての常識がなく、コミュ障で、さらに相手の気持ちを察するというか、他人と一緒に生活をするスキルが皆無なのだ。お気に入りの社員に、ネット上で拾った訳の分からない写真をLINEで送りつけたり、出社をしても事務所に顔を出さず、そのまま、何の連絡もなく、植木の草むしりを初め、出社しないことを心配した社長命令で全社員での捜索事件を発生させたり、商品管理のための空調を止め、全商品を廃棄にするというミスをしたのに、逆ギレをしてみんなを困らしたり、重要顧客との会食で、一言も話さず、「二代目はヤバい奴だな」と呆れられたり、会社を取り仕切るどころか、親がいなければ、生活もままならない四六歳の独身男です。こんな人間に人生を任せられると思う人間は、どMだと思う。だが、周りの人間が支え、お飾りにすれば会社の存続はできる。普通ならできるハズである。

だけど、それができない理由が我が社にはある。それは、番頭たちも超高齢化が進み、社長がいなくなる頃には、ほとんどの番頭たちが定年を超える。ちなみに、現在、経営上層部に君臨する役職者は、上から七四歳、七二歳、六九歳、六四歳、五九歳である。このメンバーは10年以上固定され、他の追従を許さない。つまり、後進の育成は、これまでにされてはいない。つまり、社長の勇退と経営上層部の引退の時期は、ほぼほぼ同時期で急に番頭もいなくなるのである。経営に関与していない人間が、急に責任のある判断を押し付けられる未来に光はない。

さらに、人材の流出である。経営上層部が変わろうが、現場の技術者、営業が優秀であれば、会社は持ち堪えることができるかも知れない。経営上層部の判断に現場からノーと言えれば、大きな間違いはないだろう。我が社には優秀が技術者たちがいる。これまでの会社を支えてきた技術者たちの知恵があれば・・・という淡い期待も抱けない。我が社の従業員の平均年齢は驚異の六三歳。もちろん、定年を迎え、嘱託で働いている人を含めた平均年齢なので、正社員の平均である五八歳よりは高くなる。というか、正社員の平均年齢が五八歳の会社に将来を感じるだろうか。少し頭が良い人間なら、近づきはしない。ここ数年で新卒で入社したのは、外国籍の二人だけだ。あとは中途採用でくる五〇代の人間・・・ちなみに、外国籍の二人の上は、三六歳になる。そして、その上はアラフィフ世代が数人いるだけで、あとは高齢者。もし仮に、六五歳の定年退職で、きっぱり会社を辞める人間ばかりであると二年後には、従業員数が約半分になる。

まるで未来がない。

沈みゆく船に乗り、最後の晩餐を楽しむには、僕は少し若すぎる。

仕事とプライベートの分け方

仕事仲間が、遊び仲間になることもある。

我が社は急激な高齢化が進み、将来のある若者は「この会社に将来はない」と会社に見切りをつけ、早々に退職し、残るのはポンコツな社員と超高齢化が進むおじさんばかりである。僕は、『情シス』なので会社のメイン業務とは離れ、基本的には一人事務所でパソコンに向かう日々を過ごしている。基幹システムの維持、回収、社内インフラの整備、情報セキュリティマネジメントシステム(通称:ISMS)の維持、貸与パソコンの管理、その他、日々起こるパソコンのトラブルバスターが主な仕事で、現場で働く技術者のおじさんたちとは、基本的に朝晩のミーティング時にしか接点がない。ないはずである。本来は、同じ社内にいても、活動の場が違い過ぎで、仕事中に関わることがないのだ。

ランチタイムも、技術のおじさんたちは事務所に戻ることなく、現場の休憩室で取るし、僕が真面目に一日中、事務所で作業をしていれば、接点はない。現に、同じ事務作業が中心の総務や経理とおじさんたちは、年に数回の飲み会でしか話をしていないらしい。つまり、本来であれば僕も、技術のおじさんたちとは話をする機会もなく、総務や経理、事務のお姉さん方と事務所でヨロシクしていれば良いはずである。

だが、僕は技術のおじさんたちと、すこぶる仲が良い。仲が良いというより、おじさんたちに可愛がられているような気がしている。これは感謝でしかないのだが、基本的に余所者に対し、斜に構え、威圧的な態度を取る現場の職人気質が高めのおじさんたちが、奇妙なモノに触れるような感覚で僕を可愛がってくれるのだ。

ちなみに、僕は年齢四九歳。世間一般的には「おじさん世代」である。そして、僕を可愛がってくれる現場の技術者のおじさんたちは、年齢五九〜七九歳である。叩き上げの技術者で、さらに人生経験の豊富なおじさんたちの目には、僕は、『何かが足りない男』として映っているようで色々と教えてくれる。道具の使い方から、機械の構造、原理、一般常識まで何から何まで・・・まるで、僕に全ての経験と知識を引き継ぐかのように。それも18人のおじさんたちがである。事務所を離れ、現場に顔を出すたびに、おじさんたちに声をかけられ、色々とご教授を頂くのだ。

そして、去年の夏からは、休日も一緒に遊びに出掛けている。そのきっかけは、全社員が車通勤をしている中、僕だけが楽しそうにバイク通勤をしていたことだった。僕は単身赴任で現在の拠点に来ているのだが、パンデミック前に購入し、ソーシャルディスタンス中に家にこもっていることのできない僕のストレスを発散させてくれたクロスカブ110を通勤のために持ってきた。もちろん、通勤用に車も持ってきているが、ユーノス・ロードスターという変態的な趣味車のため、毎日の片道10kmの通勤で走行距離を伸ばしたくないとの思いから、クロスカブ110を通勤のために持ってきたのである。夏は暑く、冬は寒い地方のため、バイク通勤をする人間はいない。近隣の会社でもバイク通勤をしている人間は見かけない。そんな中、転勤初日からクロスカブで通勤をしたのである。

ファーストインプレッションは重要である。おじさんたちの中で僕は奇人変人の類に見えたようで、それから、ずっと可愛がってもらっている。はじめに声をかけてくれたのは、大型バイクを趣味にしているおじさんだった。「どうせ、やることがないなら、おすすめのツーリングコースに連れて行ってやる」と週末にツーリングのお誘いをしてくれた。そして、1200ccの大型バイクと110ccのカブでツーリング・・・。ツーリングという名の苦行。お互いに苦行でしかなかった。そんな苦行を面白おかしく、おじさんたちにしたので、それからは、昔バイクに乗っていたというおじさんや、会社の誰にもバイクが趣味だと伝えていなかったおじさん、老後の趣味としてバイクの免許を取りに行ったおじさんが仲間になり、月に二度程度、みんなで遊びに行っている。ちなみに、クロスカブでは、おじさんたちとのマスツーリングがツラく、現在は250ccのバイクを購入し、遊びに通勤に利用している。

仕事仲間が、遊び仲間になることは稀にある。もちろん、仕事だけの付き合い、いや、仕事ですら話したくない人間もいるが、毎週のように一緒に遊んでくれるような仲間ができることもある。仕事以外のつながりを築きたいと思うなら、自分から情報を開示し、興味を持ってもらうことが大切だと僕は思う。反対に、市議と仲間の意外な一面を知ったら、褒めたり、共感したりすることで、生涯の仲間になってくれる確率は上がる。僕はクールにビジネスだけの付き合いをするより、仕事を通してでも、仲間を作った方が楽しい人生になると思っている。ただ、仕事が近い場合は、その限りではない。