hiramesのブログ

サラリーマンを辞め、起業をするまでの軌跡

働き甲斐を問うサラリーマン

少し後ろ向きな話をする。

これは僕が社会人として約二五年間働いてきた経験である。

もしかしたら、本当に働き甲斐のある会社という桃源郷のような会社があるのかも知れない。だけど、僕はこれまでのサラリーマン生活で、仕事に対する働き甲斐を見出すことが出来ていない。もちろん、瞬間瞬間では、達成感を味わうことはあるし、嬉しかったこともある。だけど、働き甲斐があるかと問われると疑問符が浮かぶ

同じような気持ちで働いているサラリーマンが多数派だと思うし、就職活動をしている学生に知って欲しいと思う。

もし仮に、「働き甲斐なんてものは必要なく、生活のために稼ぐのが正義だ」と悟りを開き、会社に対する期待など無意味で、家族を養うためにお給料をもらえれば良い。仕事なんて基本的に楽しくないのが当たり前。

という寂しい人間に成り下がるのが大人の常識なら、僕は大人になりたくはない。五〇歳を目の前にして、人間らしく生きようと決めた僕は、本当に強くそう思う。

楽しみながら、稼ぐ方法は必ずあると思う。

働くことは犠牲をすることなのか

ここ一〇年で、多様性とか、働き方改革とか、耳障りの良いキャッチーな言葉をよく耳にするようになった。だけど、僕たちサラリーマンは、会社に雇われ、会社の指示通りに働くことを求められている。そして、その対価として給料をもらっている。

つまり、働き方改革なんてものは、会社のアピール材料でしかなく、実際に雇われている従業員からすると会社の思惑通りに働くことでしか、稼ぐことができない

やりたくないことでも指示があれば、やらなければならないし、無駄な作業だと分かっていても・・・。

つまり、与えられたタスクを終わらせることで給料を貰える

そして、そこには多大な犠牲を払うことになる。その犠牲というのは、時間的な拘束だし、やりたいことができないストレスである。

現代日本の働き方

サラリーマンとして約三〇年働いていると会社の表面的な面だけでなく、裏というか、闇というか、見たくない汚い部分も見えてくる。そこで感じるのが、現代の日本は、成果の量ではなく、自己犠牲の量で対価が払われるということだ。

成果主義』とかいっても、家庭やプライベートを犠牲にする残業や休出し、会社のために自分を犠牲にしている人間が高く評価される。特に中小企業は、評価をする人間が、従業員の働いている態度を見ることができるため、成果で評価をするのではなく、どれだけ会社のために自己犠牲をしているかで評価をすることが多い。

そもそも、日本人は伝統的に損得勘定より、忖度感情を大切にするから、会社の儲けを出す人間(損得)より、会社のために犠牲になる人間(忖度)の方が評価が高くなる傾向がある。

僕は損得より忖度・・・相手のことを想い、相手の求めていることを提供するという忖度が嫌いではないし、むしろ、忖度文化があるから『おもてなし』という日本人の素晴らしい伝統になっていると思っている

自己犠牲で成り立つ日本社会

僕は、自己犠牲をしてまで相手のことを想う日本人の考え方は好きだし、日本人はそうあるべきだとすら思っている。ただ、相手に自己犠牲を求めることがあってはならない。

会社が従業員に自己犠牲を求め・・・明示的に求めていないとしても、評価の基準にすることで、従業員は評価を高くするために、自己犠牲競争が始まってしまう。

忖度し、自己犠牲をしてまで、相手のために尽くす文化は、相手が喜んでくれることに幸せを感じる素晴らしい文化だと思う。だけど、相手に自己犠牲を求める輩が増えてきたから格差が生まれ、使われる側と使う側という歪な関係になるんだと思う。

本当に愛社精神で自己犠牲をしているのであれば、何も問題はない。だけど、多くのサラリーマンは愛社精神なんて微塵もなく、会社のために自己犠牲をするなんて、真っ平ごめんだと思っているはず・・・少なくとも僕は会社のために家族やプライベートを犠牲にすることは止めた。

働き甲斐のある仕事

会社のために働いていて、働き甲斐が生まれるかといったら、それはないと思う。少なくとも、僕は経営者を喜ばすために仕事をしているわけではないし、経営者のご機嫌取りの対価を貰いたいとは思わない。

つまり、僕はサラリーマンに向いていない。五〇歳まで気づかなかった自分にショックを受けるけど、僕は、サラリーマンとして働き、会社の経営陣のご機嫌を取り、その結果として、昇給をすることに嫌悪感を抱く。

変な話、同じ会社のメンバーは立場は違えど、仲間だと思っている。そんな仲間の幸せのために自己犠牲をするなら、お客さんが幸せになるために自己犠牲をしたい。それが僕の考える働き甲斐のある仕事。

だから、仕事は、何をするかではなく、誰とするかが大切で、大好きな仲間に背中を預け、仲間が一丸となって、お客さんが喜ぶために尽くせれば、働き甲斐のある仕事になると思う。

五〇歳からの起業

気づくのが遅くなり、いつの間にか四九歳になってしまった。だけど、仕事の本質を知ることができ本当に良かったと思う。

僕は好きな仲間とお互いに信頼できるお客さんと仕事をし、お互いが納得して対価を払うような働き方を目指す。ぬるい考えだというのは百も承知している。同じ自己犠牲をするのなら、仲間内ではなく、お客さんのために自己犠牲をして、お客さんに喜んでもらいたい。

多分、僕はサラリーマンには向いていない。

自己犠牲を強要されるサラリーマンなんてクソ喰らえ・・・。