hiramesのブログ

サラリーマンを辞め、起業をするまでの軌跡

サラリーマンが会社で仲間意識を持つ意味

昨日の記事を自分で読んで、少し誤解を受ける内容だったと反省をしている。

hirames.hatenablog.jp

僕は誰かのために犠牲になることは、いとわないし、僕が犠牲になることで喜ぶ人がいるなら、喜んで犠牲になる。ただ、好きでもない人のために犠牲になるのが、とてつもなく嫌なだけ

会社で働いていて、一緒に働いている仲間のために犠牲になることは何も問題ない。むしろ、僕の仕事である情報システム部門は、誰もやりたがらない単純作業をいかに効率よくこなすかに全集中している。

楽しい仕事とは

これは独りよがりかも知れないが、僕が考える「楽しい仕事」とは、他人の役に立つ仕事で、相手が感謝してくれる仕事。

今の僕のようにお客さんと直接接することがない社内部署であれば、社内の人たちが喜んでくれる仕事が楽しい仕事になる。結局、僕は承認欲求が高いというか、誰かに褒められたり、感謝される仕事がしたいのであって、やっても誰も得をしないことはやりたくないのだ。

もちろん、会社のために働くことで、経営陣のエゴを満たし、経営陣の評価が上がり、給料も増えて満足度が上がると言うのも理解はしている。

だけど、何かが違う気がしてならない。だって、全然、楽しくないんだもん・・・。

経営者と従業員は仲間なのか

仲間意識・・・サラリーマンに必要なのかは疑問である。でも僕は、仲間と一緒に切磋琢磨して、誰かの幸せのために精進したい。つまり、本来であれば、全社一丸となってお客さんの幸せのために仕事をしていれば、同じ仲間として助け合う。

別に経営者の考え方と従業員の考え方、価値観が違うのは問題ないし、むしろ、価値観が同じ人間ばかりの会社だと刺激がなく、何も楽しいとは思わない。ただ、なんとなく「給料を払っている」とか「働かせてやっている」という経営者の考えが仲間意識を低くする

これは僕の価値観であって、世間一般的なサラリーマンの考えとは違うかもしれない。だけど、経営者も従業員も立場は違えど、対等に仕事をすることを希望する。甘い考えだと思われるかもしれないけど、経営陣と従業員の間に仲間意識が芽生えないのは、上下関係が生まれるから。

親子関係のような上下関係

例えば、上下関係でも親子関係のように愛・・・少し恥ずかしいけど、愛のような感情があれば、仲間意識が芽生えると思う。僕は、会社を辞め、来年の誕生日までに起業するんだけど、僕は経営者になり、誰かを雇うことになっても、上下関係は作りたくない。もし仮に上下関係が生まれても、親子のように従業員に愛を持って接したい。

ぶっちゃけた話、仕事をする人間と対価を払う人間に上下関係なんて生まれず、相手のことを想い、相手の幸せにために動いた分だけ、対価が発生するんだと思う。