媚を売る人間より、売られる人間の器が大切だと言うことを考察した
会社である光景を見ていて、昔から感じている違和感というか、疑問が浮かんだので考察をしてみます。
あからさまに媚を売る人間と、そんな媚を売られて気にするどころか、喜んでいる人間・・・僕には到底理解が出来ないのですが、何の生産性もなく、どちらかと言うと日本企業の腐った部分でしかなく、さらに、媚を売る人間も、媚を売られて満更でもない顔をしている人間も、どちらかと言うと仕事が出来るタイプではなく、会社という組織において必要ないような気がしています。僕的には、会社が儲かり、イケイケどんどんだった昭和のサラリーマンの悪き習慣で、令和のこの時代に生産性の低いことに時間と費用を掛けていること自体が理解できません。
なぜ、ヒトは媚の売り買いをするのでしょうか。
まずは媚を売る側の心理について考えてみます。媚を売るという行為は、自分の評価を不当にあげて貰い、自分の実力では手に入れることの出来ない対価を得るために行います。例えば、僕が女子に媚を売り、電話一本で送り迎えをしていたのも、もしかしたら、女子の好意で一晩を共に過ごすことが出来るかも、少なくとも2時間のショートステイ位は許して貰えるかも・・・と期待をしていたからです。自分の実力では手に入れられない至福の時を手に入れるために女子に媚を売るのです。そこには必ず、下心があり、女子もその下心に気づいていたから、その想いを利用していたのです。一言でいえば、媚を売る人間には、ラクして評価して貰おうという魂胆があるのです。
そして、賢くあざとい女子のように、相手の気持ちが分かっていれば、股を開くことはもちろん、くちびるを許すことはありません。それが人間関係の駆け引きです。なのに、媚を売られ、有頂天になり、じゃんじゃん見境なく、相手の思い通りに与えてしまう人間がいます。媚を売ってくる人間を心底信頼し、しもべの優位になるように行動をしてしまう・・・ある意味、純粋で「いい人」です。そんな人間の多くは、世間を知らない。評価が低い。つまり、仕事が出来ないという傾向がある気がしてなりません。自分も媚を売り、今の立場を得た。もしくは、親の七光・・・タナボタ的に現在の立場を与えられた人間です。
寒風吹き荒ぶ世の中を自分の知恵と身体を武器にサバイブして来た人間であれば、先述の女子のように、媚を打って来る人間は、いいように利用し、ティッシュペーパーのように使い捨てにするハズです。媚を売って来る人間に価値などないと理解をしているハズなんですよね。現に女子たちは若い時から理解をしています。媚を売り、近づいて来る人間がいると、何か使い道があるか、なければ捨てると皮算用するのが大人です。
つまり、媚を売る側も、売られてご満悦な様子の人間も、価値なんてありません。そして、現代のように技術が発展し、情報化社会が進むとアホ同士の考える企みなど明るみになり、どちらの人間も不要であると周りの人間から周知されるのです。景気が良かった昭和の頃なら、まだしも、令和の現代では、本人たちが気づかぬうちに、誰にも相手にしてもらえない悲しいコミュニティに成り下がっているのです。
早く気づけると良いのですが、おそらく一生気づかずに過ごす幸せ者のような気がします。